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2010.10.23

悔しさ

【ラストエッセイ 第17回 ~内野手 館健太~ 】

 

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「悔しさ」

 

この気持ちが僕の野球ではいつも一緒についていた。

華々しく甲子園で活躍して入部してきた同級生と違い、僕は高校野球最後の夏、県大会一回戦で敗退した。高校野球全てを懸けたその大会でその結果にしさと応援してくれた同級生に顔向けも出来なかった。

親にはきちんと感謝の気持ちを伝えられなかった。そんな中、早稲田の斎藤投手は、日本中で注目され、甲子園でもすごい戦いをしていた。同級生でこんなにすごい人がいるのに圧倒的に負けていた自分がまた悔しかった。

 

「日本一の投手の彼と戦ってホームランを打つ!」

そう決めて六大に入った。

 

立教大学野球部に入ってからも、いつも悔しいことばかりだった。

1年の頃は雑用ばかりで、練習も満足いかないのに、同級生は1軍で活躍していた。

2年の頃は、秋の新人戦でメンバーにも入れなかった。いつも一緒に雑用をしていた仲間が試合に出て活躍していて悔しかった。

3年になるといつも一緒にいる仲間が皆1軍に入り自分だけが追いていかれる悔しさ、4年になると新チームになって1軍に入れることもあったがレギュラー争いに勝てなかった悔しさ。

 

 

悔しい気持ちはいつも一緒だった。

だけどその気持ちがあったから本気で練習を頑張れた。

 

「もうこんな思いはしたくない。勝ちたい!」

 

その為にいつも頑張れた。

悔しさはいつも一番のバネになった。

それはたくさんいいことも連れてきてくれた。

 

新人戦では打席に立って、日本一の投手と対戦出来た。

春のリーグ戦ではベンチに入って勝利に貢献できた。

 

今の自分の立ち位置は、決して満足できるものではない。

今の位置にその「悔しい気持ち」は傍にいて離れない。

その気持ちをもうすぐ来る最後のリーグ戦に、どんな形であってもぶつけてこようと思う。

 

最後はスッキリと笑って終われるように。

 

 

 

 【館健太・4年外野手・横浜桜丘高校出身】

【ラストエッセイ 第16回 ~トレーニングコーチ 村田裕史~ 】

 

 

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大学野球を改めて振り返ってみると、悔しいことや辛いことの方が多かったように思う。

 

「神宮で投げたい」

 

そう思って私は投手として野球部に入部したのだが、六大学野球のレベルは高く、自身の怪我にも泣かされた。

選手として神宮で投げるどころか、ベンチ入りすら果たせず、選手として全くチームに貢献出来ない自分が本当に嫌だった。

そこで私は大学3年の春に選手という立場から、スタッフとして選手のサポート役に回ることで少しでもチームに貢献したいと思い、12年の選手生活に終止符を打った。

スタッフという立場に身を置いたものの、グラウンドでプレーする選手たちの姿を見ると、「俺もまた野球がしたい」という思いが湧いてくることが度々あったし、何よりスタッフとして選手を管理する側の大変さや難しさが身に染みてわかった。

スタッフとして活動した約1年半を振り返ってみても、私がスタッフとしてチームに貢献出来たと胸を張って言うことは出来ない。

監督さんや他のスタッフのみんなにもかなり迷惑をかけたと思うし、チームのみんなには頼りないスタッフで申し訳なかったと謝りたい気持ちだ。

 

ただ私は大学野球での様々な経験を通じ、人間としてかなり成長出来たように思うし、何より大学野球を共にした同期の仲間の存在は私にとって一番の財産だ。

本当にいい仲間たちに巡り合えて幸せに思う。

スタッフとして活動していた時、同期の仲間が一生懸命努力する姿、試合で躍動する姿が何より自分のモチベーションだった。

 

このエッセイを書いている私は今、自身の引退がいよいよ目前に迫っているのだなぁとしみじみ感じている。

 

もう今のチームメイトと一緒に野球が出来るのもあとわずかと思うと寂しい気持ちで一杯だ。

 

リーグ戦最後のカード、結果はどうであっても持っている力を出し切って笑顔で終わりたい。

 

最後に家族のみんな、監督さん、スタッフのみんな、マネージャー、チームメイト、私を支えてくれた全ての人にこの場を借りて感謝の気持ちを表したい。

 

「ありがとうございました。」

 

 

 追伸 <家族のみんな>

 今まで僕の野球人生をずっと支えてくれて、本当にありがとうございました。

感謝してもしきれません。今後は立派な社会人になれるよう頑張ります。

 

<監督さん>

 監督さんに会って野球に関することはもちろん、誠実たる事がいかに大切かを教わりました。

自分も監督さんのような熱くカッコイイ大人になれるように頑張ります。

 

<スタッフのみんな>

 あんまり力になれなくてごめんなさい。

みんなのことは心から尊敬しています。

みんなと一緒にスタッフ活動が出来て本当に良かったです。ありがとう。

 

<後輩のみんな>

頼りない先輩ですいませんでした。今後のみんな(特に投手陣)の活躍を期待しています。

頑張って!!

 

 <同期のみんな>

とっつきにくい奴でごめん。

みんなと過ごした4年間本当に楽しかったです。

みんながいたから大学野球頑張れました。本当にありがとう。引退しても仲良くしてね。

 

 

【村田裕史・4年トレーニングコーチ・立教新座高校出身】

2010.10.22

終わり!

【ラストエッセイ 第15回 ~捕手 天野圭太~ 】

 

 

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とうとう野球人生の終わりが目前にまで来た。

 

我がユニークな同期達はこれでもかこれでもかという位に真面目に書いてて普段とのギャップがありすぎて笑えます。

 

一つ言うならば一億円くれるならもう一回一年生になっていいかもよ、弘樹

 

 

我が代は全寮制がなくなった最初の世代で先輩達には崩壊世代と言われ良く怒られた。

怒られたと言っても先輩達からしたら甘いらしいが。

一生懸命やってもミスが出て怒られ走らされ本当に毎日が辛かった。

 

磨いても磨いてもキレイにならないボール。

 

丁寧に整備をしてもイレギュラーするグランド。

 

不平、文句、愚痴、影口、言い訳…

 

助け合わなければならない同期同士で対立などが起きた。

 

本当に辛かった。

 

クソったれな一年生の一年間。

 

長いようで本当に長かった雑用の一年間。

 

ご飯を食べながら寝たのもあの時が最初で最後だな。

消しゴムをあんな減らしたのも最初で最後だな。

今では本当に笑い話だ。

 

あれだけ嫌いだった奴も今では本当に仲良しになった。

これからも一生付き合っていく仲間である。

何人かは社会人になって激務ですぐダメになるっしょとか思ってるかもだけど…まぁ、ほとんどだな。

 

何食わぬ顔でけなし合える仲間。

SAIKOHです!

 

そして可愛い後輩たちよ。

お前たちのおかげで俺達の代は成り立っていた。

本当にありがとう!

みな謙虚な気持ちを持って人を動かせるような人間になってほしい!

決して慢心せず周りに目を向け成長してくれ。

 

 

私の野球人生は本当に周りの人なしでは語れません。

家族、親戚、同期、先輩、後輩、中学の同期、高校の同期、予備校のみんな、塾のみんな、全ての人達へ

本当に挫折だらけで辛かったけどみんなのおかげで最後まで笑って頑張ることができました。

みんなにしてもらったことをこれからはたくさんの人に返していく番になりました。

 

本当にありがとう。

 

そしてこれからもよろしくお願いします。

 

最後に…

学生コーチになってくれた岩渕へ。

本当にありがとう。

おかげで最後の一年は一生忘れることがないくらいトレーニングキツかったぜ!

メンバー外で全然力になれなくてごめんな。

お前が学生コーチで本当に良かった!

ありがとう。

 

みなさん、これからも立教大学野球部をよろしくお願いします。

 

 

12年間

 

野球よありがとう。

 

 

【天野圭太・4年捕手・春日部高校出身】

2010.10.21

ありがとう!

【ラストエッセイ 第14回 ~投手 片岡航希~ 】

 

 

 

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私は高校時代最後の夏を間近に控えて利き手を骨折し勝負の舞台に上がれなかった。

なんの実績もなかった人間だった。

そんな自分に東京六大学に挑戦するチャンスをくれた高校にまず感謝したい。

 

入部に際し恩師と交わした約束が

「新人戦でも構わないから、一球でもいいから、神宮のマウンドで投げる」

今思えばなんと控え目な目標だと笑える。

でも当時は真剣だった。

確固たる自信がなかった。

紆余曲折ありながら、約束通り新人戦で神宮のマウンドに立った。

緊張のあまり第一球目を大暴投したことは忘れない

 

その後、リーグ戦で投げるという新たな目標を仲間に託そうかと考えた時期もあった。

そんな中、休みの日に同期と湘南の海で語り合ったこともあった。

そこでみんなのために、リーグ戦で投げるために頑張ることを決心した。

語り合った彼は今トレーニングコーチとして頑張っている。

 

三年生、四年生とキャンプにも連れていってもらいながら期待に応えられず、申し訳なかった。

もっと貪欲な性格なら投手としてさらに成功したのかなあとも思う。

思うような結果は出せなかった。

だが、結果に責任を持つと決めた大学野球。

自分が必要だと思ったことは信じてやった。

 

四年間の結果にとても満足はできないが、納得はしている。

 

ただ、応援してくれた親、先生、友人、サポートしてくれた野球部の仲間の期待に応えられたか。それだけが心残りだ。

 

それにしてもみんなと一緒に過ごせて楽しかった。

いろいろありすぎたけれど、みんなのおかげでここまでこれた。

もうみんなと馬鹿やったり野球ができなくなると思うと、ちょっと、、、あれだな

 

先生、先輩、両親、今まで野球をやらせてくれてありがとうございました。

 

立教に来て良かった。

本当に楽しかった。

みんなありがとう。

これからもよろしくね↑↑

 

 

【片岡航希・4年投手・桐蔭学園高校出身】

【ラストエッセイ 第13回 ~外野手 北田亮佑~ 】

 

 

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とうとう大学野球も残り1カードになりました。

長いようで短かった4年間。

たくさんの出来事がありました。

 

もうあれこれ言う前に

同期のみんなありがとう!!

 

楽しかったことばかりじゃないけど、みんなと同期で良かったと心から思えるよ!!

特にぶち、館、前田の3人には世話になったな。

なんでも本音を言えたし、友達でも厳しいことも言い合ったり、諸事情で泣いたりもしたな。

おれらたぶんバカだけどこれからも酒のつまみになる話しばっかりやな。笑

直接なんて言えるはずないからここで言わせてくれ、

 

ありがとう。

 

さて、野球をやってきた16年間を振り返ると後悔が一番最初に思い浮かぶ。

高校最後の大会では足を捻挫して初戦敗退。

泣くにも泣けない、ただ不完全燃焼だった。

それがあったから大学でも野球を続けようと決意した。

大学では完全燃焼する!

その気持ちが強かったから今の自分がいると思う。

4年の春のリーグ戦最初の2カードスタメンで出場させてもらいました。

しかし、2カード終わったらボールを投げることが出来なくなった。

骨折していた。

今も完治はしていないが、投げれる!

もう中途半端な終わり方はしたくないから。

最後の明治戦も自分の仕事を全うします!

 

自分たち4年は一度も優勝することは出来ませんでしたが、最後の最後まで全力で戦いますので応援よろしくお願いいします!

 

最後にいつも心配ばかりかけてきたお父さん、お母さんありがとう。

今度家帰ったらまた飲み行こう!笑

みんなの前では恥ずかしいけどお父さんとお母さんの思ってること聞いて2人の子供でよかったって自慢できるよ!

本当にありがとうございました。

 

 

 

【北田亮佑・4年外野手・島原高校出身】

2010.10.15

No Baseball No Life

【ラストエッセイ 第12回 ~外野手 近藤弘樹~ 】

 

近藤

 

 

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大学野球は大変だった。

大学に入るまでは当然のように自分が1番だと思って野球をしてきて、

自分のやりたいようにやっていたから、

グラウンド整備を始めとする雑用が本当に大変で、

あの1年をもう1回やったら、1億円くれるといってもやりたくない。

 朝整備でお世話になった北村君には感謝をしている。

 

 

まぁそんな自分が大学に入り、凄く感じたことが3つある。

 

1つは『井の中の蛙、大海を知らず』である。

 

俺は甲子園球児に勝てる!とか自分が9人いれば勝てる!とかいってるお山の大将(昔の俺)には是非高いレベルに挑戦することをオススメする。

強豪校の7番と弱小校の4番、自分は後者の方が上手いと思う。

でもやっぱり漢なら強豪校で4番を目指すべきだ!

結局ダメだったけど非常に清々しい気持ちだ。

 

2つめは『努力は嘘つかない』である。

 

やっぱり練習しなきゃ上手くならない。

もう無理だと思っても粘ること、これがなかなか難しい。

もう少しだけ、あともう少しだけ練習しておけば良かった、と今になって思う。

館ありがとう&ごめん。

 

3つめは『仲間の大切さ』である。

 

本当にみんながいたおかげで、最後まで楽しく野球をすることができた。

みんな本当にありがとう。

 

これからも一生よろしく

 

【近藤弘樹・4年外野手・宇都宮北高校出身】

【ラストエッセイ 第11回 ~内野手 増田直之~ 】

 

増田直之

 

 

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小学校3年生から始めて、今年で14年目になる野球生活も今秋で遂に終わりを迎えます。

自分自身の野球生活を振り返ってみると、楽しい思い出よりも、辛かったことや悔しかったことのほうが多く思い出されます。

 

正直言って、自分の今までの野球生活は、誰かに声高に語れるような物ではありません。

それでも、大学4年まで野球を続けてきて、続けることが出来て本当に良かったと思います。

もちろん、ここまでやってこれたのは周りの人の支えがあったからだと思います。

両親を始め、チームメイトや監督、今までの野球生活で関わった全ての人がいたからこそ、自分は今も野球を続けていられるのだと思います。

 

だからこそ、社会に出ても『感謝』の気持ちだけは決して忘れない人間になります。

 

今までの野球生活で学んできたことを活かし、これからも社会人として大きく成長していきたいです。

 

【増田直之・4年内野手・立教新座高校出身】

2010.10.13

感謝の日

【ラストエッセイ 第10回 ~投手 菊沢竜佑~ 】

 

 

菊沢

 

 

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昨日の東京大学二回戦で一年半ぶりに神宮球場のマウンドに立つことができました。

たった1イニングの登板でしたが、私にとっては非常に意味のある登板となりました。

ここに戻ってくるために続けてきたことが一気に頭の中に溢れてきました。

 

私は昨年の10月20日に右肘の靭帯再建手術を行いました。

右肘の怪我は二年生時の春季リーグ戦が終わってからずっと続いているものでした。

初めはリハビリでの回復を目指しましたが、なかなか回復せず手術に踏み切りました。

 

手術した時は「絶対に来年のリーグ戦で復活してみせる」と固く決意していました。

しかし、手術の後の自分の右腕はご飯も食べることができず、髪さえ洗えない状況でした。本当にこの腕でまたボールを投げられるようになるのか、病院で一人愕然としたのを今でも鮮明に覚えています。

 

さらに順調に回復していくはずだった右肘の具合も、自分が当初思い描いていたようにすんなりと良くならず焦る気持ちも少なからずあり、先の見えない絶望感に常に苛まれていました。リハビリ入院を繰り返し、孤独の中でもがく日々が続きました。

 

でもどんなに苦しい状況でも私の心の中には決してブレない信念と目指すべきところがありました。

もう一度マウンドに立って投げたいという強い気持ちがあったからこそ、苦しくても悔しくても自分を鼓舞して続けてくることができたと思います。

その一心が私を支え、原動力となっていました。

 

辛い時に支えてくれた家族や仲間たちの存在も、私を奮い立たせてくれる大きな存在でした。

 

昨日の試合でマウンドに立つことができたのは、九回に投げられる場面を作ってくれた野手・投手陣のおかげであり、自分がダメな時でも支えてくれた家族、チームメイト、医療スタッフなどの周囲の人の支えがあったからだと心から感じています。

感謝しています。

 

投げられるようになるまでに正直面白くない思いもたくさんあったし、辛いリハビリもありました。

でも昨日神宮のマウンドに立つことができた時、全てのことが自分にとって意味のあることだったと感じられました。あきらめず、地道に続けてきて良かったと思いました。

 

試合の前日にメールをくれたり、日頃から声をかけてくれたり、必死に応援してくれた同期のみんなには心から感謝の気持ちを伝えたいです。

 

立教大学の秋のリーグ戦はまだ終わっていません。

私もどんな形でもいいのでチームの勝利に貢献できればと思っています。

四年生の集大成を発揮して、最後にもう一花咲かせたいです。

 

 

【菊沢竜佑・4年投手・秋田高校出身】

【ラストエッセイ 第9回 ~投手 宇津井一樹~ 】

 

 

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私はこの大学4年間、本当に様々な経験をした。

 

私の4年間は、六大学の同期生の中でも一番色々あったんじゃないかと思っている。

 

 何があったかはあえて言う必要もないので省略するが、本当に色々あった。

 

優勝やらなんやらは経験出来なかったが、経験値は一番獲得したと思う。

それを可能にしてくれたのは紛れもなく周囲の人々だ。

 

愚かなことに、野心に満ちていた1年生の頃は、私はそのことに気付かなかった。

 

しかし辛くてどうしようもなかった時に、たくさんの人々に支えられた。

 

迷惑をかけっぱなしだった同期生のみんなに「絶対復活しろよ」と言ってもらって力が出た。

 

今さらだけど、1年生のときにグランド整備サボりまくってごめんなさい。

 

親にはそんなに嫌なら辞めろと叱られた。今思えば、本人が嫌々やってるなら、支援する側にとってこれ程虚しいことはないということがわかる。

 

それがたとえ本心からの言葉ではないとしてもだ。

 

両親には文句ばっかり言ってごめんなさいと伝えたいと思う。

 

 

そして諸先輩方と後輩達。

わがままで気分屋で傲慢な私は、おそらく数えきれない程の迷惑をかけたに違いない。

 

先輩方、生意気な後輩でごめんなさい。

 

後輩達、わがままばっかり言ってしょうもない先輩でごめん。

 

 他にも色々あるような気もするが、キリが無さそうなのでやめておくことにしよう。

 

 本当にお世話になったのでこの場を借りて謝ろうと思った。

 

皆さんごめんなさい、そして本当にどうもありがとうございました。

 

最後になるが、同期生のみんなには感謝してもしきれない。

4年間こんな僕を仲間として受け入れてくれてありがとう。

引退まではまだ少し時間が残されている。

 

出場出来ない4年生のぶんも神宮で思い切り暴れるから、どうか見ていてくれ。

 

 

 

【宇津井一樹・4年投手・立教新座高校出身】

本日は東京大学第一回戦でした
昨日までの天候と打って変わって、雲一つ無い秋晴れの中、試合は行われました

 

本日は豊島こども大学の方々の野球部応援神宮ツアーがありました

 

豊島こども大学とは、立教大学文学部100周年を記念し開校された、立教大学の地域連携を進める事業のひとつです。

豊島区を知る・作る・楽しむというコンセプトのもと、子供たちが立教大学の学生と共に学び、成長する事を目標にしています。

 

そして、今回カリキュラムの一貫として、神宮ツアーが行われました!!

 

 

1

 

 

豊島こども大学の学生スタッフの方々・子供たちとその保護者の方々合わせて23名の方々が参加して下さり、今回は5名の1年部員が付き添いをさせて頂きました。

 

 

まず最初に、信濃町駅で部員が自己紹介をし、試合に出場する選手のサインボールを子供たちにあげました。

滅多にもらうことが出来ないプレゼントにとても喜んでくれました。

 

それから神宮球場へ向かい、全員で記念写真を撮りました。

 

 

2

 【写真:集合写真(神宮球場前にて)】

 

いよいよ対東京大学第一回戦の観戦開始です

プロ野球の試合は球場で見たことがあっても、大学野球の試合は初めて観戦する子が多かったようです。

 

初めて体験する立教大学の応援に最初は戸惑っていた様子でしたが、1年部員に教わりながら、子供たちも慣れない中で、楽しそうに精一杯応援している姿がとても印象的でした。

 

 

3

 

 

立教が点を取る度に肩を組み、喜びを分かち合う姿も見られました

 

結果はというと…3-0で勝利致しました!
皆さんの声援が伝わったのでしょうか
歓喜の瞬間を一緒に味わうことが出来て良かったです。

 

試合後のエール交換で立教大学の校歌を歌い、神宮ツアーは終了となりました。

 

試合観戦終了後、
「楽しかった!」

「また来たい!」

という言葉を子供たちが笑顔で言ってくれました。

付き添いにあたった私たち1年生にとっても、あっという間でしたが、とても素敵な思い出となりました

 

明日は対東京大学大二回戦が行われます。
ぜひ神宮球場まで足をお運び、熱い声援をよろしくお願い致します!

 

 

 

【岡田有生・1年マネージャー・香蘭女子高校出身】

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