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2010.10.24

第三戦に!

集合写真

【4年生最後の練習後の集合写真】

 

 

今日は惜しくも1点差で負けてしまいました。

残り1カード、引退も間近となり気合い充分で挑んだ対明治大学戦一回戦に勝利することが出来ず、部員一同本当に悔しい気持ちでいっぱいです。

私は、2階のアナウンス室でアナウンスを担当していましたが、点を積み重ね1点差まで詰め寄っている時のスタンドは盛り上がりで揺れているように見えました。

スタンド・ベンチが一体となっていた分、今日の負けは非常に残念でした。

 

試合後の夜、応援団のリーダーの一人からこんなメールが来ました。

 

「明日を最後にしないよう、最初から最後まで悔いの残らないように。」

 

彼とは、体育会の新入生が参加するフレッシャーズキャンプで出会いました。同じ班だったこともあり、今までお互い切磋琢磨し合いながら、7回のリーグ戦を終え、8回目のリーグ戦を迎えました。

いつも全力で応援してくれ、叱咤激励してくれる応援団の大きさを4年目にして改めて感じました。

 

 

更に今日の試合後、寮の玄関で自宅に戻る監督さんにお会いし、こんな言葉をかけて頂きました。

 

「明日(日曜日)で終わりにさせないからな。明後日までいくぞ!」

 

力強い監督さんの声と温かい言葉に感動し、思わず泣いてしまいました。

 

試合後寮に戻った選手たちの雰囲気、自信に満ち溢れた監督さんのご様子から明日の勝利を確信しました。

 

応援団を始め、ファンの方々、保護者の方々、いつも応援して下さる多くの方々への恩返しの為にも、明日は全員で勝利を掴みにいきたいと思います!

そして、明後日全員で2つ目の勝ち点を奪取したいと思います!

 

最後の1カード、勝ち点を挙げて終わることが出来るよう、引き続き熱いご声援をよろしくお願い申し上げます。

 

 

2010.10.23

悔しさ

【ラストエッセイ 第17回 ~内野手 館健太~ 】

 

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「悔しさ」

 

この気持ちが僕の野球ではいつも一緒についていた。

華々しく甲子園で活躍して入部してきた同級生と違い、僕は高校野球最後の夏、県大会一回戦で敗退した。高校野球全てを懸けたその大会でその結果にしさと応援してくれた同級生に顔向けも出来なかった。

親にはきちんと感謝の気持ちを伝えられなかった。そんな中、早稲田の斎藤投手は、日本中で注目され、甲子園でもすごい戦いをしていた。同級生でこんなにすごい人がいるのに圧倒的に負けていた自分がまた悔しかった。

 

「日本一の投手の彼と戦ってホームランを打つ!」

そう決めて六大に入った。

 

立教大学野球部に入ってからも、いつも悔しいことばかりだった。

1年の頃は雑用ばかりで、練習も満足いかないのに、同級生は1軍で活躍していた。

2年の頃は、秋の新人戦でメンバーにも入れなかった。いつも一緒に雑用をしていた仲間が試合に出て活躍していて悔しかった。

3年になるといつも一緒にいる仲間が皆1軍に入り自分だけが追いていかれる悔しさ、4年になると新チームになって1軍に入れることもあったがレギュラー争いに勝てなかった悔しさ。

 

 

悔しい気持ちはいつも一緒だった。

だけどその気持ちがあったから本気で練習を頑張れた。

 

「もうこんな思いはしたくない。勝ちたい!」

 

その為にいつも頑張れた。

悔しさはいつも一番のバネになった。

それはたくさんいいことも連れてきてくれた。

 

新人戦では打席に立って、日本一の投手と対戦出来た。

春のリーグ戦ではベンチに入って勝利に貢献できた。

 

今の自分の立ち位置は、決して満足できるものではない。

今の位置にその「悔しい気持ち」は傍にいて離れない。

その気持ちをもうすぐ来る最後のリーグ戦に、どんな形であってもぶつけてこようと思う。

 

最後はスッキリと笑って終われるように。

 

 

 

 【館健太・4年外野手・横浜桜丘高校出身】

【ラストエッセイ 第16回 ~トレーニングコーチ 村田裕史~ 】

 

 

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大学野球を改めて振り返ってみると、悔しいことや辛いことの方が多かったように思う。

 

「神宮で投げたい」

 

そう思って私は投手として野球部に入部したのだが、六大学野球のレベルは高く、自身の怪我にも泣かされた。

選手として神宮で投げるどころか、ベンチ入りすら果たせず、選手として全くチームに貢献出来ない自分が本当に嫌だった。

そこで私は大学3年の春に選手という立場から、スタッフとして選手のサポート役に回ることで少しでもチームに貢献したいと思い、12年の選手生活に終止符を打った。

スタッフという立場に身を置いたものの、グラウンドでプレーする選手たちの姿を見ると、「俺もまた野球がしたい」という思いが湧いてくることが度々あったし、何よりスタッフとして選手を管理する側の大変さや難しさが身に染みてわかった。

スタッフとして活動した約1年半を振り返ってみても、私がスタッフとしてチームに貢献出来たと胸を張って言うことは出来ない。

監督さんや他のスタッフのみんなにもかなり迷惑をかけたと思うし、チームのみんなには頼りないスタッフで申し訳なかったと謝りたい気持ちだ。

 

ただ私は大学野球での様々な経験を通じ、人間としてかなり成長出来たように思うし、何より大学野球を共にした同期の仲間の存在は私にとって一番の財産だ。

本当にいい仲間たちに巡り合えて幸せに思う。

スタッフとして活動していた時、同期の仲間が一生懸命努力する姿、試合で躍動する姿が何より自分のモチベーションだった。

 

このエッセイを書いている私は今、自身の引退がいよいよ目前に迫っているのだなぁとしみじみ感じている。

 

もう今のチームメイトと一緒に野球が出来るのもあとわずかと思うと寂しい気持ちで一杯だ。

 

リーグ戦最後のカード、結果はどうであっても持っている力を出し切って笑顔で終わりたい。

 

最後に家族のみんな、監督さん、スタッフのみんな、マネージャー、チームメイト、私を支えてくれた全ての人にこの場を借りて感謝の気持ちを表したい。

 

「ありがとうございました。」

 

 

 追伸 <家族のみんな>

 今まで僕の野球人生をずっと支えてくれて、本当にありがとうございました。

感謝してもしきれません。今後は立派な社会人になれるよう頑張ります。

 

<監督さん>

 監督さんに会って野球に関することはもちろん、誠実たる事がいかに大切かを教わりました。

自分も監督さんのような熱くカッコイイ大人になれるように頑張ります。

 

<スタッフのみんな>

 あんまり力になれなくてごめんなさい。

みんなのことは心から尊敬しています。

みんなと一緒にスタッフ活動が出来て本当に良かったです。ありがとう。

 

<後輩のみんな>

頼りない先輩ですいませんでした。今後のみんな(特に投手陣)の活躍を期待しています。

頑張って!!

 

 <同期のみんな>

とっつきにくい奴でごめん。

みんなと過ごした4年間本当に楽しかったです。

みんながいたから大学野球頑張れました。本当にありがとう。引退しても仲良くしてね。

 

 

【村田裕史・4年トレーニングコーチ・立教新座高校出身】

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